コート・デュ・ローヌ シャトー・ド・フォンサレット 2007
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AOC:コート・デュ・ローヌ 色:赤 奇才ジャック・レイノー亡き後も、その名声を見事に保ち続けているシャトー・ラヤス。シャトー・ラヤスより僅かに涼しげな気候のために、出来上がるワインもより色調が濃く、タンニン分がしっかりしています。力強く豊かな果実味。また、フォンサレットでは、シラーを加えることによって、
獣やトリュフのニュアンスが与えられます。年間250ケース程度しか生産していません。10年以上熟成させてようやく真価を発揮します。
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在庫:
品番:71067
配送:クール便推奨
価格:9,400円(税抜・送料別)


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Robe: |
ルビー色がかった明るいルージュ色。 |
Service: |
16〜18℃ |
Nez: |
ラズベリー、ブラックベリー、トリュフ、青いハーブ、土の香り。 |
Garde: |
5〜20年 |
Palais: |
熟した果実の凝縮した味わいが口中に広がる。酸は柔らかで非常に強固なタンニンがある。 |
Cepage: |
50%:グルナッシュ、35%:サンソー、15%:シラー |
生産者の紹介
シャトー・ラヤス [Chateau Rayas]
(Chateaunef du Pape / cote du Rhone)
当主:エマニュエル・レイノー(Emmanuel Reynaud)
所有シャトー:
Chateau Rayas (Chateauneuf du Pape)
所有畑面積:10ha(内2ha:白ワイン)
栽培品種:グルナッシュ、グルナッシュ・ブラン、クレーレット
畑の平均収量:15〜20hl/ha
生産ワイン:
- Chateau Rayas(Chateauneuf du Pape)
- Pignan(Chateauneuf du Pape )
このキュヴェは、Chateau Rayas シャトーヌフ・デュ・パプのセカンドワインの一種
- Chateau de Fonsalette(Cotes du Rhone)
- Pialade(Cote du Rhone)
Chateau de Fonsalette (Lagarde-Pareol)
所有畑面積:10ha(ブドウ畑、森、農地とオリーブ畑。)
栽培品種:グルナッシュ、サンソー、シラー、グルナッシュ・ブラン、クレーレット、マルサンヌ
畑の平均収量:15〜20hl/ha
※カーヴは無く、醸造はシャトー・ラヤスで行う
Chateau des Tours (Sarrian)
所有畑面積:40ha(いくつかの穀物やオリーブ畑の部分は、1997年に植樹)
栽培品種:グルナッシュ、サンソー、シラー、メルロー、クーノワーズ、グルナッシュ・ブラン、クレーレット
生産ワイン:
- Chateau des Tours
- Domaine des Tours
- Paris
【ドメーヌ概要】

1880年 アルベール・レイノー(Arbert Reynaud)がシャトーを購入。もともとはアヴィニヨン近郊で公証人の職にあったが、45歳の時に聴力を失い、公証人を続けられなくなってヴィニュロンに転身した。
1920年 息子のルイ・レイノー(Louis Reynaud)の力を借り瓶詰を開始。地元をはじめ国内向けにワイを出荷するようになった。
1935〜38年にかけ、ルイ・レイノーは、サリアン(Sarrian)にあるドメーヌ・デ・トゥールを購入。諸々の作物の多角栽培に着手し、息子のベルナールに託した。
1945年 ルイは、オランジュ(Orange)の北16Kmほどの、ラガルド=パレオル(Lagarde-Pareol:2006年よりAOC Cotes du Rhone Village Massif d'Uchaux)のコミューンに位置する十数ヘクタールのシャトー・ド・フォンサレットを購入した。
1978年 ルイの長男ジャック・レイノー(Jacques Reynaud)が、シャトー・ラヤス、フォンサレットを受け継ぎドメーヌの運営に乗り出した。ジャックは数多くのヴィンテージを手掛け、土壌のバランスや、土壌がワインのクオリティにいかに影響を与えるか、大いに関心を抱いていた。
とりわけシャトー・ヌフ・デュ・パープの土壌の特徴でもある大きな石を畑からすべて取っ払ってしまったという事は有名。
1997年 ジャック・レイノーが急逝。甥で、1989年以降ドメーヌ・デ・トゥールでカーヴを創設し、ワインの販売を行っていた甥のエマニュエル・レイノーが受け継ぐこととなった。
ジャック・レイノーは、シャトー・ラヤスをアペラシオンの中で最も有名な、最も報われ、最も高価なワインのひとつにすることに成功しました。多くのワインライターが彼を訪問しましたが、レイノーから多くのコメントを残せずにいました。彼のことを一部の人は「非常にエキセントリックな人」と言っていましたが、ワインは素晴らしかった。その“秘密”の一部は、おそらく
非常に低い収率と非常に遅い収穫でした。エマニュエルは叔父が何をしていたか知っていて、彼は
そのまま一切変更させずにドメーヌの運営にあたっています。
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