酒を知る酒屋が参画する「特別な風の森」~里山の個性を表す酒~

しぼりたての「S風の森」

吉野杉をふんだんに使用した新しい醸造所の内部は、木の香りと醪(もろみ)の香りで満ちている。室内には醸造設備が整然と並び、本格的な酒造りが始まっています。圧搾機のバルブが開かれると、酒口からみずみずしい酒がほとばしります。

風の森

淡く緑がかった酒は輝きを放ち、穏やかな果実香がふわっと広がる。グラスを顔に寄せると、白ぶどうや青いバナナを思わせる香りが感じられ、口に含むとシュワっとしたガス感が際立ち、「風の森」ならではの個性を感じます。

上質な甘みが広がる一方で、口の中に残るほどよい苦みが味わいを引き締め、キレのある後味を生み出します。低精米とは思えない透明感のある味わいがとても印象的です。

風の森

葛城山麓醸造所で造られるブランド「S風の森」は、醸造所のある棚田で収穫された秋津穂米のみを、低精米で醸したお酒です。

インタビュー風景

すでに2023年収穫分の2つのロットが販売されていますが、今回は3番目となる酒“Trial Edition”の搾り作業にあわせて我々も集い、醸造所の中川所長と契約農家の杉浦さんにお話を伺いました。

「風の森里山コミュニティ」のための醸造所

「S風の森」は「里山を100年先へつなぐ」プロジェクトの中心となる酒で、2023年収穫分の酒造りはほぼ完了し、これから2024年収穫分の仕込みが始まります。

このプロジェクトの原点には、棚田を守るために尽力する農家、特に秋津穂を契約栽培している杉浦さんの強い想いがある。杉浦さんは、この地で無農薬の特別栽培に取り組み、「大地の力」を活かした農業を実践されており、杉浦さんの秋津穂で造ったお酒は透明感とみずみずしさが際立つと、高い評価を受けています。

インタビュー風景

この醸造所は、初心者でも負担が少ないように少人数で作業ができる設備が整っています。また、エアシャワーなど衛生管理が徹底され、杉浦さんや我々のような「風の森里山コミュニティ」のメンバーが関わりやすい設計になっています。

木製槽扉

醸造所入口の扉は、かつて御所まち蔵で使用されていた木製槽の一辺を再利用したもの。酒袋の置く位置が墨で示されているのが印象的で、中央に置かれたテーブルの天板にも同じ材料が使われています。

内装

また、床の一部には、室町時代の寺院醸造に縁の深い興福寺の瓦が敷かれており、さりげなく歴史を取り入れた意匠が落ち着いた雰囲気を生み出しています。ここは、「風の森里山コミュニティ」のメンバーが「S風の森」を通じて棚田を100年先に繋げるために集い、意見交換する場。今日は、我々もその一員としてお話を伺いました。

農家も酒造りに関わること

インタビュー風景

杉浦さんは農閑期を利用し、麹造りや醪(もろみ)の仕込みにも携わり、「種切り」や「床もみ」、「放冷」や「櫂入れ」などをされたそうです。米のでんぷんは粘りがあり、長い櫂を使ってかき混ぜる「櫂入れ」作業は重労働です。「酒造りは稲作より体力が必要ですね」と杉浦さんは語ります。

これまでは米を納めることで役割を終えていた農家が、酒造りに関わることで「美味しく飲んでほしいという気持ちが湧いてきます。それは、おにぎりを美味しいと言って食べてもらうと嬉しいのと同じような感覚です。杜氏さんにも農家の方が多いので、私も同じですよね」と、杉浦さん。

かつて、農閑期の冬場に、農家が酒蔵に招かれ酒を造ることが杜氏の始まりでした。杉浦さんの場合は自ら育てた米での酒造りなので、その想いは特別なものでしょう。

風の森

農業は土の中で、酒造りはタンクの中で、どちらも微生物の働きなしには成り立ちません。農業と酒造りを互いに体験することで、理解が深まる。共感が生まれることで、新たな気づきや発想が生まれる。「風の森里山コミュニティ」の様々なメンバーが醸造所に集い、語りあうことで、「S風の森を美味しく飲んでほしい」気持ちが広がっていきます。

「土地の力」を引き出す

杉浦さんは、農業にとって理想の土は森の土だと語ります。人の手が加わらずとも森が豊かになるのは、土地自体に力があるから。田んぼにおいても、その「土地の力」を引き出すことが重要だと。

木

「土地の力」を引き出す重要な菌は「菌根菌」。これは農作物に窒素などの栄養を供給する菌で、適度な湿り気のある環境で繁殖します。腐葉土の裏などに見られる、糸状の白い菌がそれです。これらの菌類が生息しやすい環境を整えることで「土地の力」を引き出し、自然な本来の作物が育つ。杉浦さんの田んぼ、特に西地区の田んぼは土壌菌が豊富です。

田

分析によると、減農薬の地区と比べても圧倒的に多くの土壌菌が存在し、無農薬の特別栽培によって、森と同じような環境が整えられていることが分かります。「杉浦さんの野菜には本来の香りや味があり、とても美味しいんですよ」と中川さん。無農薬の特別栽培は環境負荷を減らすだけでなく、「土地の力」を引き出す作用もあるのです。

インタビュー風景

「未来酒度」という新しい価値提案

お酒の価値を評価する際、酒米、精米歩合、酵母の種類といった基準が一般的ですが、それらと全く異なる視点で、葛城山麓醸造所で新しく考案した指標が「未来酒度」です。

「未来酒度」は、生産から酒造り、さらには消費までを包括的に評価するものです。その評価基準には、「無農薬、減農薬」などの環境負荷の低減や里山への貢献度などが取り入れられています。

稲刈り

つまり、「酒の価値を米の作り方や環境保全に置く」という考え方です。この考えが浸透すると、ブランド名で購入していた消費者が、生産者の取り組みに共感し、より深い愛着を持って日本酒を楽しむようになります。その結果、より豊かな消費活動が生まれる。

酒が生まれる背景にどのような思いが込められているのか。「未来酒度」という指標は、お酒の価値を農業の現場にまで遡り、見つめ直す。そのような視点に基づいているのです。

里山コミュニティ

「S風の森」が、多くの方が稲作に興味を持ち、里山に目を向けるきっかけになってほしい。中川さん、杉浦さん、重なる想いがこのプロジェクトの大きな力になっています。

里山の魅力を引き出す

2023年産の米はタンク3本仕込み。2024年産は5回ほどの仕込みになる予定です。里山の地区は3つに分けられ、年を経るごとにそれぞれの特徴が少しずつ明らかになっていくでしょう。低精米から来る米由来の味わいを「大地の恵み」ととらえ、風の森らしいバランスの中に土地の個性を活かしたお酒を造っていきたい、中川さんはそのように語ります。

「S風の森」の価値が広く受け入れられるにつれ、「風の森里山コミュニティ」も広がっていくでしょう。事実、それはすでに始まっています。2025年の稲作では新たに2軒の農家が秋津穂を栽培する予定です。そして、今まで耕作放棄地だった棚田が活用され、その広さは2.6反にも及ぶとのことです。

里山コミュニティ

「この場所を応援する気持ちでS風の森を飲んでもらいたい。そうするには、やはりここに来てもらうのが一番」と中川さんは語ります。棚田の中にある醸造所は、さながらフランスのワイン銘醸地ブルゴーニュのドメーヌを連想させます。地域にある森、畑、そこに住む生き物や植物が織りなす生態系の全てがワインに凝縮されると言われるように、土地のエネルギーや個性を活かした酒として「S風の森」の魅力が広がっていくことを期待します。

里山コミュニティ

酒蔵、農家、酒屋、消費者が輪となる「風の森里山コミュニティ」。この醸造所に人が集い、里山の魅力を引き出し、新たな価値を高めていく。地元の農家の方に加え、酒屋、消費者にも広がりが期待されます。

稲刈りから酒ができるまで続いた我々の取材は今回で一区切りとなりますが、引き続き「風の森里山コミュニティ」の一員としてこの棚田に集い、多くの方と「S風の森」を飲みながら、里山の魅力を楽しみたい、そんな気持ちが溢れてきます。