酒をつくる油長酒造 新ブランド「水端」~よみがえる日本酒の源流~ 前編

「風の森」で有名な油長酒造が新ブランド「水端」を立ち上げます。今回発売されるお酒は、油長酒造にとって縁の深い菩提酛造りや、古の奈良に伝わる技術を甕仕込みで再現したものです。

現在の当主13代目山本長兵衛社長は、酒造りの歴史に造詣が深く、この度、油長酒造の歴史や醸造哲学を記した本「風の森を醸す」を出版されました。日本酒の歴史も解り易く、また中世の酒造りに関する記載も多く、ご興味のある方は是非ご一読されることをお勧めします。

発売に先駆け、酒専門店鍵や取材チームで油長酒造さんを訪問し、そのコンセプトや狙いについて山本社長に伺いました。今回は、そのお話を基に新ブランド「水端」の魅力に迫りたいと思います。

水端

大和蒸留所の2階にあるミーティングスペースは、木のイメージで落ち着きのある空間です。令和元年300周年を機に13代目長兵衛を襲名された山本社長は、とても丁寧な口調で解りやすくお話される印象です。ご用意いただいた本や資料を拝見しながら、興味深くお話を伺うことができました。

まず最初に、自ら監修された「日本清酒発祥の物語」のPVを拝見しました。中世の大寺院での酒造りが解りやすく紹介されており、映像も美しいです。YouTubeでも配信されていますので是非ご覧になって下さい。

酒造りは寺院から始まる

水端

日本清酒発祥の地とされる奈良県菩提山正暦寺は、室町時代には86坊もの塔頭が立ち並んだ壮麗な大寺院でした。

しかし、度重なる兵火や江戸幕府の厳しい経済制圧により衰退し、ほとんどの堂塔は失われましたが、今でも酒母の製造免許を持った日本で唯一の寺として、毎年最古の酒母である菩提酛を仕込んでいます。

多聞院日記、御酒之日記などの文献に当時の酒造りの様子が克明に記載されており、それらが日本清酒発祥の地であることを示す貴重な資料となっています。

これらによると、上槽、火入れ、木桶の大樽、酒母、段仕込み、精米による諸白造りなどの技術はこの時期すでに基礎が確立されていたのです。
江戸時代の伊丹の童蒙酒造記には寺院での酒造りを奈良流と呼び、高く評価する記載が残っています。

水端

海外の方にとって「日本酒は解りにくい」ようです。

とはいえ、中世の修道院でビールやワインが造られ、シャンパンの考案者のドン・ペリニヨンも僧侶であったように、海外でも酒造りは寺院と深い縁がありました。

日本酒もそうであることを共通軸として伝えれば、より理解してもらえるのでは、と山本社長はおっしゃいます。

酒造技術の発展の背景には厳しい国家財政があった

水端

奈良には、奈良時代、平安時代を経て、建造された国立の大寺院がたくさんありました。そこには神様に供える酒を造る醸造所もあったと考えられています。

中世の室町時代後半に国が荒れ財政が逼迫した時、国費が滞り、寺院は運営を維持する為、荘園から集めた米を原料に酒を造り販売し資金源としたのです。寺で造られた酒は僧坊酒と呼ばれ、酒造りは寺院の主要な収入源になっていきました。

どぶろくに似た韓国のマッコリのような自家用酒は、商圏も小さく、酒に工夫を加える必要がありません。それに対し、僧坊酒はどんどん商圏が大きくなり、火入れして樽に詰めて流通させ、さらに製造を増やす事になり、技術も急速に発達したのでしょう。

文献に記された中世の酒造り

水端

興福寺の学侶の日記である多聞院日記には、酒袋を借り、搾り、酒袋を洗い、火入れした事などが具体的に記されています。御酒之日記は日本最古の民間の酒造技術書に当たり、江戸時代の童蒙酒造記などにも当時の技術が記されており、これらの文献によって中世の酒造りを知ることができるのです。

火入れ温度についての記述は興味深く、当時は温度計が無かったので、感覚的に判断するしかなく、「手引燗」と呼ばれる方法が取られていました。
具体的には、火にかけた酒の中に手を突っ込んで三回かき混ぜて熱く感じる温度が、江戸に運ぶには適当とされたようです。

一方で、地元用の酒はうす火と呼ばれるやや低めの温度にし、酒のフレッシュさを残すように使い分けていました。また、牡蠣殻を焼いて入れる、生姜の葉を入れて煮る、ニッキを入れる等、腐造した酒の直し方なども記載されており、当時の様子が手に取るように解ります。

このような酒造りを再現すればどんなものができあがるのだろう、そんな好奇心が水端の開発につながっていったのでしょう。

ブランド名「水端」が意味するもの

水端

「水端」とは「物事の最初、出はじめ、はじまり」の事で、「日本酒の源流」を意味します。

忘れ去られた技術を文献を頼りに探求し、現代的に再現する。それにより日本酒の歴史を伝え、さらに現代の酒造りに活かせる何かを模索することができるのでは、この名前にはそんな思いが込められています。
「水端の専用蔵で醸すこと」「大甕仕込み」「古典を読み解く醸造」
といった3つのルールをベースにして、奈良の地に伝わる古典酒造技術を再現する、それが水端なのです。

では、その3つのルールについてご紹介していきます。

享保蔵について

水端

創業時の享保年間に建造された享保蔵。長らく酒造に使われていなかったこの「始まりの蔵」はリノベーションされ、水端の専用蔵として、再び酒を醸すことになりました。

蔵の屋根にある鬼瓦は酒樽とちろりが形取られ、洒落た意匠に当時の御所の街並みの活気のある様子が伺われます。重厚な扉を開け中に入ると、凛とした清冽な空気が漂い、重厚な梁が雰囲気を醸し、創業時のエネルギーを感じます。

水端

真新しい階段で2階に上がると古典的な酒蔵らしい空間が広がります。階段のすぐ脇にコンパクトな麹室があり、そこから1段下がり大甕が並ぶ醸造場と上槽用の槽があり、この空間で酒造工程が完結できる構造になっています。

1階にある甑、2階の麹室、甕、槽、すべてコンパクトな設計で、まさにミニブルワリー。きっと中世の寺院の酒造場もこんな様子だったのかと思いが巡ります。

甕仕込みの効果

水端

甕は焼釜に入れて焼く為、大きいものでも三石ぐらい。この大きさだと原料を一度に入れて仕込むことができます。甕の丸みのある形は、自然体流が起こりやすく、櫂入れもスムーズに作業ができる。また、土由来のミネラルが醪に溶出することで、発酵が強くなる。

甕は酒造りが終わったら綺麗に洗浄するのですが、釉薬が掛けてあるにも関わらず、酒の香が残ります。これがどういう効果を生むかは、何回も醸すことで少しづつ解っていくでしょう。

仕込みについて~古典を読み解く~

水端

中世の文献から知り得る仕込みを再現する、それが水端です。

初回に選ばれた「菩提酛の甕仕込み」は、夏場に常温で仕込む為、酵素が活性化され糖化が早いのが特徴です。
御酒之日記に記された方法に基づき、麹が多く水が少ない配合との事。一般的な酒造りでは気温が高いと発酵速度が速くなるのですが、この仕込みでは急速な糖化によって増えすぎた糖が酵母を抑え発酵が緩やかになるとの事です。

専門的になりますが、これは濃糖圧迫という作用で、ジャム等の保存食に活用されています。酵母は高い温度帯の発酵によってたくさんの有機酸を生成させ、酸度の高い酒質となります。

第二弾の仕込みは多門院日記に記載のある「甕の三段仕込み」。それ以降も季節に応じ、文献に記載のある内容を頼りに、いろんなスタイルの酒造りにチャレンジしていくとの事です。

後編の記事はこちら

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